神様と人類の思い違い。

人は部屋が汚れたら、掃除。服が汚れたら、洗濯。車が汚れたら、洗車。食べ終わった食器はとうぜん台所で洗いますよね。
そして神様にも人が汚れたらクリーニング(掃除)をするという現象を起こされるのですよ。
人の体は不思議なのもで不平不満、悪口、陰口、妬み、嫉み、イジメ等の行動をすると体の中に濁微粒子(罪)が発生し、神様はその濁微粒子を汚れていると感じて、体、物、お金を通してクリーニングをしようとするのですよ。
体の場合は、溜まってしまった濁微粒子を体外へ排出させるため、細菌やウイルスを使い、その濁微粒子と反応させ熱を出させるのですよ。
納豆を作るとき納豆菌と反応させ、熱を利用して柔らかくするのと同じですよ。
このとき濁微粒子(罪)の大きさに比例するように熱の出方も異なります。
熱が高くなればそれだけ多くの濁微粒子が溶けて、汗や尿、口から痰(たん)として排泄されますよ。
体の中から汚いのもが排泄されたあとは体はスッキリとして健康な状態に。
このとき思い出してほしい事は、濁微粒子のかたまりでもある痰(たん)が出るタイミング。
風邪の症状となり熱が出始めても直ぐに痰はでない。熱がぐーんと上がり40度近くなっても、まだ出ない。ようやく熱が下がり始め自然治癒力の力で体力が戻り始めると同時に痰も出始めるのですよ。それも色のついた黄色や緑のような毒性の強いものが排出されるのです。
しかし人類はこの現象を神様の行っているクリーニング現象だとは知らず、病気だと思い込んでしまったのですよ。だから濁微粒子の少ない人は風邪をひかないのですよ。熱を出す必要がないからです。
神様は罪を消すために体に熱を発生させ、溶かして体の外へ出そうとするのですが、人類は病気だと思い込んでしまっているため、その現象を薬を使い止めてしまうのです。排出されない罪は体の中に徐々に溜まり続け、やがて大きな病気や事故、災害などに巻き込まれるような人となってしまうのですよ。
今の教育では神様が実在していて神様の世界に生かされている人類だという教育は受けないと思いますが、神様の創られた世界には神様の創った法則や掟が存在していますよ。もしそのことに気付きその法則を多く学べたら幸せになれるとは思いませんか?